写真は今後どうなるのか?
ある雑誌の中で写真家やキュレーターなど写真に関わりのある人々がテクノロジーが写真にもたらしたものを特集していました。現在、そして未来はどう変わっていくのか。
さまざまな識者の意見をまとめると、写真は2つの局面を持っているということに行き着くようです。
まずは、インデックスとしての写真です。索引、見出しというような意味です。
つまり、フェイスブックやその他メディアでみる写真は記録や記憶の断片のようで短時間で消滅していくものです。たとえネット上に残っていたりしても、それは時間の経過によって価値がなく、単なる断片化した記録に過ぎなくなってしまうものです。
よって、鮮度が重要なのです。
もう一つは、ARTとしての写真。ARTで写真を捉えるとするなら、記録であっても、そこにはオリジナリティがあり、確たる写真が存在するのです。
その写真とは、プリントということです。
つまり、プリントなくして写真(ART)ではないということです。
プリントの大きさや質感はネット上で再現できないもので、モニタ画面の色は全てが違うと入っても過言ではありませんし、解像度もモニタと写真では極端に質感が違うということです。たとえば、マット紙(無光沢)でプリントした作品をネットで見ると光沢で透過光源で見えてしまいます。
大きさもそうです。作品が1mを超える作品であっても、ネットで見ればモニタサイズ以上に拡大はされません。
よって、実物(オリジナル)を見なければ、作品の価値は分からないということになります。
写真を趣味と考えている皆さんは是非プリントで作品表現してください。
プリントすることによって、写真は生命が宿ると言っても過言ではありません。どんなにモニタ上で美しくともプリントして美しくなければ、写真としての価値は生まれてきません。
作品の息吹をシェア(共有)するにはプリントが必要です。
テクノロジーに変化があっても、仕上がった作品が写真である以上、フィルムであってもデジタルであっても写真であることに変わりはありません。
プリントこそが写真。
そこにはデジタルもフィルムもなく、ただ写真という事実が存在しているのです。