デジタルカメラと画像編集ソフト(LightroomやPhotoshopがその代表格です)は写真の世界を一変させたといってもいいですね。
カメラのデジタル化とPhotoshopの出現は、写真業界の革命的な出来事です。それは歓迎と批判を伴って、現在まで成長してきました。まさにデジタル革命と言っても過言ではないでしょう。
こう書いてくるとデジタル礼賛とも受け取れる内容ですが、デジタルは決して特別なものであると私は思っていません。
写真は、デジタルであるか否かが問題なのでなく、仕上がった作品によって評価がされるのです。
最近、ドイツのアンドレアス・グルスキーの作品で、ライン川を撮った作品がオークションで3億4千万円という高額な価格で落札されました。
この作品はデジタルです。そして、それより以前ですが、日本の写真家である杉本博司の海景という作品も1億円以上で取引されています。杉本氏は、銀塩フィルムと8×10のカメラで撮影をしており、デジタル処理は一切行っていません。
このように、写真は内容が良ければデジタル・銀塩を問わず高価な価格で取引されているということです。
最近では写真はコンテンポラリーアートのひとつのジャンルとして定着しています。
もちろん、これらの作品の質感や描写力は抜群で、迫力と美しいプリントが魅力であることに疑いはありません。
ところで、話はぐっと身近なことになりますが、最近のコンテストの審査をして感じるのは、粗雑な仕上げが増えているということです。
コントラストがやたらに高い、彩度が高すぎてトーンジャンプしている。シャドー領域を覆い焼きしていない等、とても鑑賞に耐えない作品が目立ちます。
つまり、自己満足の領域を出ていない仕上げになっているのです。
写真は、メディアがアナログからデジタル主流になろうとも、人間は生身から機械に変わるわけではありません。
人が持つ五感、そして、第六感に至るまで昔とほとんど違いがありません。
人が美しいと感じる感性は、生まれながらに持っているそうで、これは学習により感じるものではないそうです。
しかし、どうしたら美しく表現するかは、学習が必要になります。
写真の仕上げが、暗室(Darkroom)から明室(Lightroom)に変わろうとも
表現(仕上げ)することに変わりはありません。
たとえば、ネガに感光された濃度によって階調が再現されるのと同じように、ヒストグラムは光の感光濃度を表しています。
モノクロに使用するフィルターで赤やオレンジ・黄色などのフィルターで撮影をすれば、フィルターと同じ色は明るくなり、補色は暗くなります。
ホワイトバランスは、色補正(CC)フィルターと色温度変換(LB)フィルターと同じです。等など…
これら、フィルムで必要だった知識は、デジタルでも健在です。
というよりも、写真を理解するうえで大変重要な知識であり、スキルになります。
私自身は、フィルム時代に培った知識やスキルをデジタル処理に置き換えて画像処理をしています。ですから、単純にソフトの解説書とは違う処理方法も沢山あり、それを教室やWeb講座で公開しております。
確かに、最近のソフトは長足の進歩を遂げました。しかし、先程も書きましたが、鑑賞するのは機械ではなく人間です。
ソフトやデジタル上では正しくとも、人の目は、細部や全体を見通すことが出来る眼(審美眼)を持っています。
その意味でもクラシック(伝統)を無視して、写真は成立しないと思っています。