デジタルカメラが全盛な現代において、写真は撮影するだけでなく、レタッチをして、作品を完成させることが写真ということになっています。
以前にも書きましたが、これこそ本来の写真です。
自分の作品に命を吹き込む作業が仕上げですから、この仕上げの部分をプロとはいえ他人に任せるのはARTではありません。
たとえば、モノクロは、多く種類の現像液があり、撮影をして現像するときにその中から作品のイメージに合ったものを選択して現像をしました。
粗粒子にしたければ、ISO感度をあげて撮影をして、増感特性に優れた現像液で増感現像をする。
場合によっては、印画紙の現像液を希釈して高温現像をして粒子を目立つ仕上げにすることもしました。
そのためにはフィルムとの特性と、現像の技術を磨く必要があります。
撹拌方法や時間、温度の組み合わせが作品のベースとなるネガになるのです。
この作業は、今のRAWデータを現像する時と一緒です。
RAWデータは撮影後に色温度やコントラストを表現したいレベルに調整できます。
大きな違いは、デジタルはやり直しが効くということです。
これが最大のメリットです。
今までは理想のフィルム現像に辿り着くまでに、多くの失敗と時間を犠牲にしなくてはなりませんでしたが、今では時間がかかるとはいえ、やり直しが効く。これはデジタルの優れたところです。
ところがこれがアダになるのです。
やり直しが効くから、何度でもやり直す。結果、どう仕上げていいか分からないということになります。答えがひとつであれば何とかなりますが…
それと、もっと大きな罠があります。
それは、パソコンのスキルです。
今までとは違い、手先の感覚や繰り返しによる技術向上と感性(濃度やコントラストを決める部分)が必要だった写真ですが、パソコンを介して写真を仕上げる現在においてはパソコンのスキルが写真仕上げに必要だと誤解されています。
写真はあくまでも感性が大切で、パソコンやソフトの知識があるから美しい写真仕上げができるのではありません。
よって、基礎的な知識しか持ち合わせていない人が、きれいなプリントを仕上げることができ、パソコンやソフトの知識がある人が、策士策に溺れるの言葉通り、レタッチし過ぎで酷いプリントになってしまうケースが多々有ります。
こう聞くと技術は必要、感性だけで、後は濃度とコントラストさえ上手くいけばなんとかなると誤解されそうですが、そうではありません。
あくまでも、仕上げは、その仕上げた内容が重要であって、技術を披露する場ではない、ということです。
徹底的に技術を駆使しても、その跡が見えないように仕上げる。
そのためには、ソフトの使い方が大切になるのです。
便利なものほど使い方が重要で、多機能なものであっても、機能に振り回されない。
これを実現するには、作者の作品を仕上げるイメージが明確になっていなければなりません。
高度な技術の習得と、それを感じさせない仕上げの美しさを目指しましょう。
パソコンやソフトを習得して、それに振り回されず、コントロールできるすべを身につけるのが教室やWeb講座であると私は考えています。