個性という名の無個性

ソフトの力に頼った表現はなぜ個性的ではないのか?

たとえば、HDR処理です。全ての階調が出ていて、まるで絵画のような表現をした作品は、今までの写真の概念から言うと十分個性的です。

↓ ↓ ↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E5%90%88%E6%88%90

 

もっと身近な例で言うとフィルターです。クロスフィルターを使って光の粒を十字にフレアーさせてキラキラと表現した作品です。

↓ ↓ ↓

http://www.kenko-tokina.co.jp/imaging/filter/cross/4961607352205.html

 

これらの作品は、サンプル写真としては効果的なのですが、個性的かといえば誰が撮影しても同じように仕上がるため、個性的とは言えない可能性があります。

では、ソフトやフィルターによる表現は、写真としての価値がないのか、といえばそうではありません。

要は、依存しなければいいのです。

一つの表現に他の表現を加えて、新しい表現にすればいいのです。

創造とは、異質なものの組み合わせによって創造となります。

たとえば、HDR処理をして、そこにモノクロ処理した画像をブレンドして

奥行きをだす。コントラストの強い画像とコントラストの弱い画像をブレンドして、表現したい領域を広げると同時に省略をする。

このような、全く違う画像をブレンドすることによって、単一では成し得ない奥行きの深い画像を表現することが可能です。

もう一つ重要になるのは、撮影した画像です。風景写真なのかスナップ写真なのか、イメージ写真なのか、撮影した画像によって処理する内容も変わってきます。作品の内容によって、階調重視・強コントラストで階調を極端に抑えるなど様々な表現方法を学び、試してみて、表現の幅を広げることは、これからの写真表現を考えるうえで、とても大切なことだと感じています。