写真といえば、真実を写すものという意味。
だから、写真は加工したり、修正したりするものではない。
こう考えている人が多いですね。
確かに、カメラは撮影したものを正確に描写できる機械ではありますが、そこには限界もあります。
それは、明度の再現に欠かせない露出のラティチュード(許容度)が非常に狭いということです。
写真は、カメラという機械で撮影をし、フィルムやセンサーに画像を定着させるわけですが、そこには肉眼で見たものの全てが写るわけではありません。
思ったよりも、シャドー部が暗く潰れた、ハイライト部が白く飛んだ。実際の撮影現場で見えているものが、写らないからといって、それが真実だと言えるでしょうか?
そもそも、写真の語源であるPhotographとは真実を写すという意味ではなく、光を描くという意味です。
だからといって、画像処理ソフトのテクノロジーに頼りきってしまうのも作品制作とはいいがたいですね。
なんといっても主体性がないものは作品とは呼べませんし、ソフトに頼りきった画像処理は品格がなく、審美性にも乏しい。
写真はだれでも簡単に始められるし、現在の画像処理ソフトの性能はおどろくべきものです。今まででは考えられないほど、飛躍的に処理レベルが向上しているし簡単に美しく仕上げることができます。
しかし、簡単に自分の手で仕上げることが出来るからこそ注意が必要です。
リバーサルフィルムで撮影している人は、撮影後仕上げをプロの手に委ねる。しかし、デジタルは自分で仕上げる。
この差は、とても大きいのです。
プロやハイアマチュアなど、写真プリントとはどういうものかを知っている人たちは、デジタルで仕上げる際に、細心の注意をしてプリントを仕上げています。それだけでなく、仕上げで再現可能な範囲を理解したうえで撮影しています。
ですから、ハーフNDやPLフィルターなども使用します。
つまり、イメージを具現化するために必要な道具を使用して、仕上げのイメージを想定しながら撮影をします。
そこでは、何もしないということはありません。
もちろん、作品のスタイルにもよりますが、報道的なドキュメンタリーはそのような考え方は必要ないかもしれません。しかし、風景やスナップであっても、効果的な表現をするならば、時には濃度の調整などが必要になります。
そのためには、どうしたら良いのか?
まずは、カメラの機能、露出の意味など、撮影に関する知識と実技を繰り返し練習して、感覚をカメラにダイレクトに伝えることが出来るようになりましょう。
では、どういう練習がいいか?
それは、撮ってから考えることです。
逆はダメです。考えながら撮っている人がいますが、これは逆効果です。まだ、何も考えないで撮影したほうがマシです。
何より、考えながら撮ったら楽しくないですよね。
写真というのは感動しながら撮ることが大切で、考えながら撮ると感動が遠のいてしまいます。
感動しながら撮ろうとすると、いろいろな操作を忘れてしまう方は、撮影回数が少ないからです。
もっと、もっと撮りましょう。
そして、仕上がりを見て何が不足していたか、上手く行ったかをチェックしましょう。結果には必ず原因があります。
自分で考えても分からないときは、写真の知識があり、偏りがなく、的確な指導をしてくれる上級者(プロ)に質問しましょう。
決して、同じレベルの人には聞かないことです。
聞きやすさより、耳に痛くとも的確な回答をしてくれる人に尋ねましょう。