写真の永遠のテーマかもしれないことを書いてみます。
それは、写真は撮ったままのものが写真で画像加工したものは写真じゃない。
ということです。
これは、フィルムカメラで作品を撮る人に多いですよね。
ある意味で正しいと思います。
その作品がドキュメンタリーであれば、画像加工したものはナンセンスですよね。確かに問題外です。
しかし、スナップや風景など作者の意図を反映させる形で表現した作品はどうでしょうか?
よく聞く言葉に
自然な色じゃないよね?
デジタルカメラで撮った作品は、よく言われます。
その通り、というほど仕上げがマズイものは別にして、緑が鮮やかすぎるとか空が青すぎるとかいう人がいます。
展示会などで、緑がどうも自然じゃないな。これデジカメ?って聞く人のほとんどが、デジタルは自然じゃないという概念があるからなんですね。
しかしながら、作品展の作品をデジタルカメラかフィルムカメラであるか分かる人は殆どいません。
なぜなら、今のカラープリントは自家処理しない限りにおいて、デジタル出力だからです。確かに、一昔前(と言っても4~5年前)はデジタルカメラの色域は狭く、コントラストや鮮やかさはフィルムと同じですが、階調が豊富とは言いがたかったですね。
しかし、今やデジタルカメラはRAWデータ(RAWデータそのものもだいぶ進化しています)で撮影し、飛躍的にアルゴリズムが改良されたLightroomとPhotoshopの組み合わせによって出力されたプリントの階調の豊富さはフィルムからのプリントに引けを取りません。
ここまで読んで、なんだデジタル礼賛か?と思われた方、
そうではありません。
色に関してはフィルムはフィルムメーカーに依存していますし、デジタルだってある意味メーカーが作った色ということができます。濃度や階調にしてもそうです。モノクロフィルムで撮影して、暗く潰れたり、明るくて白飛びした写真がそのまま何もしないからいい写真だ、というのでしょうか?
リバーサルフィルムは有効露光域は5EVしかありません。ネガカラーは有効露光域は10EVありますが、プリントに再現する際は5EV程度であるとも言われています。このように狭い調子再現の中で最大限階調を表現するには、プリントテクニックというものが存在することを理解していただきたいのです。
かつて、アンセル・アダムスがモノクロの階調表現においてゾーンシステムを利用して作品制作したように、デジタルはカラー表現に於いてゾーンシステムに匹敵するほどの階調表現が可能になってきているということです。
本来、写真はその内容がどうであるかが評価されるものであって、その作品が
撮ったままで有るか否か?という次元のものではありません。
世界最高価格のついた写真はアンセル・アダムスの「エルナンデスの月」という作品は、正に加工バリバリと言う作品ですね。
そして、皮肉にもこの作品は露出計を使っていないという事実です。
露出計が見つからず、月の明るさが250C/ft2であることを彼が覚えていて、露出公式によって露出を決定し撮影したものであったということです。
これ以上専門的なことは少し厄介という人もいるでしょうから、この辺りにしておきますが、内容の詳細については彼の著書内容をシュミレーションして動画で解説をさせて頂きます。