氣力の充実というタイトルを見て、旧仮名使いを使っているから老人か?
と思われた方もいるかも知れませんが、私は、まだ老人の域には達していない53歳(今年の大晦日で54ですが…)です。
実はこの氣という文字を使ったのには意味があります。氣と気は発音は同じですが、意味が違うのだそうです。四方八方にあまねく広がる米を表すのが本来の氣であって、メは氣を留めることを表すので本来の使い方ではないとのことです。これは最近読んだ「氣の呼吸法」(藤平光一著)に書いてありました。よって、氣力はこの文字が最もふさわしいですね。
ところで、私が20代前半の頃、勤めていた会社の社長にこう言われました。「今は元気のようだけど、30代になるとガクッと体力が落ちるから、気をつけろ」
と、その後30代・40代・そして、今でもその時々の人生の先輩(年長者という意味です)から同じフレーズを言われます。
どうなんでしょうか?
人は50歳で老けこむ人もいるし、70歳でも元氣な人もいる。
その違いは、どこにあるのでしょうか?
今まで何事も無く元氣だったひとが、人間ドックに行って、診断結果を聞いた途端に急に病人(らしく)になる。
逆もまた真なりで、今まで病気だろうと思って心配になり、病院に行って診察を受けたら、なんでもありませんよ。と言われたらその瞬間から健康体のように生気が蘇る。結局、人は自分自身で病気になったり、元氣になったりしているんじゃないかと思う。
最近になって思う。
人は生きている限りは生きている。生きているうちに死ぬことを考えても意味が無い、死ぬことを心配して、生きることに不如意になっていたら、それは生きているとはいえないんじゃないか。
これは、元氣だからそう言えるんだ、という人も多い。
全くそのとおり、今、本当に私は元氣だし、今後も元氣に決まっている。
みんなそう思って生きていれば、元氣になれるのに、MOTTAINAI
独り言でした…